11月26日
【本番前】
この日は紛れもない、僕が音楽家としての新たな目標設定をするべく企画したステージ。共演者は、生きている音楽家の中で最も崇めるべき存在のひとり「祖田修」。
数日前から抜けない堪え難いほどの緊張と期待、前日晩までに準備はすませたが、強烈な目の冴えを覚えて殆ど眠れず。軽くまどろんだと思ったら4時30分。(準備などしている事自体が一杯一杯な証拠か…)仕方なく起きて雑用をする。
この妙な気分から少しでも解放されたくて、午前中は髪を切りに行き、ライヴハウスには14時には入っていた。譜面をまとめ、オープニングアクトのリハーサルに耳を傾け、サウンドチェックをすませ祖田氏の到着を待つ。
…18時に彼はやってきた。いつも目にしている姿と何ら変わりないが、既に演奏に向かう前のオーラが出ている。程よい緊張を携え。挨拶と固い握手を交わし、当日ののセットリストと譜面をわたすと、おもむろにピアノに向かい数曲を僅か1分足らずでさらっていた。…それでおしまい。「…え?」
彼にはその時点でイメージが無数に広がっているのだ。それだけでも圧巻。かたや僕の方は、どのように曲を演じるかの選択肢を、サウンドチェックで既に選んでいた。そう、その時点で「JAZZ」ではないのかもしれないな…。
客入れが始まるともう何もすることはない。本番を待つのみ。
【本番】
強力なリズムと鮮烈な音の洪水
未知の世界が頭に流れ込んでくる
まさに「外国語」で次々話をされている状態で、僕は相づちをうつだけで精一杯だった。
「すごい」
の一言しか言えない。
彼の目は時折獲物を狙う虎のように、海鳴りのように、時折眠るように…
そう、目を見ることで表現したい事が解るというのはだいぶ終盤になってからだが…。彼の言葉がわからない。慣用句もない不思議な言葉。
渡り合うなどまだまだ早すぎるよな…。
…僕はベーシストではなくなっていた。
【楽屋にて】
ほんの僅かな待機の間に垣間みたもの。それは祖田修という音楽家の「次元の違い」だった。ストレートのスコッチを口に含みながら語ってくれたこと(申し訳ない、長いので内容は割愛)の中には、海よりも深い「音楽への愛情」をひしひしと感じる事が出来た。僕を含め、その辺のプロとはレベルがあまりにも違いすぎる。…金銭云々、生活云々以前に、彼は人生の文字通り「すべて」を音楽に捧げ、その音楽への敬意と愛情のもとにプロというステータスを得ているのだ。これは奇麗ごとではない。「仕事」にするということ、実際それは大切だが彼にとってはそんな事は二の次で、
「最高の音楽を作るために何が出来るのか?」
「音楽のために何ができるのか?」
という問いを常に自分に投げかけ、汚い社会のしがらみ中で見事に初心を貫き通している数少ない音楽家なのだ。
…これを読んでいる人の中で、それを体現できる人が何人いるだろう?
…音楽というくくりの中で、何人いるだろう?
この日僕は
あまりにも大きな衝撃を受けた。
そして胸が痛かった
でも嬉しくて嬉しくて
終演後の静まった楽屋で泣いた
そして思い出した
神戸へ修行に来た時の自分の事を…