俗名・砂田鉄。
川人足だった鉄は遊郭で一人の女郎と恋仲に。25歳の時、その女郎に入れあげた武士と喧嘩になり殺してしまう。武士を殺せば大罪。鉄は寺に逃げ込んで出家。行者となった。そこへ件の遊女が訪ねて来る。
鉄門海は…刀で自分のイチモツを切り取り、
「私にはもう要らぬもの。これを持って帰り、二度と来るな」
と云ってそれを渡したという。
また、鉄門海上人には左目が無い。
それは江戸の眼病の流行を憂え、自らの左目をえぐり取って隅田川に投じ竜神に眼病治癒を祈願したという。その後、眼病の流行も収まったという。
幾多の寺院の再建、未開の山道の開拓などを手がけ、人々の為に命の全てを削る。
厳しい荒行と、五穀断ち、十穀断ちを経て1829年12月8日、湯殿山注連寺にて信者の見守る中「即身仏」となる。ちなみに62歳(…空海が入定したのと同じ日付だとか)
最近友人との話でこんな話題が出たので…
…壮絶。
他の誰かの為に生きること、全ての欲を捨てること。
自ら仏となってまで民衆に尽くそうとすること
そこに何の理由があるのかさえ、今の僕には分からないけれど。
とても大きな「何か」を感じる。
信仰のなせるわざといってしまえばそれまで、
決してそれでは終わらない「普遍的な何か」があるはず。
でも凡人の僕にはわからないのかな…
もう明るい時間…
黄砂のまじる濁った空気に
ふと自分の生き様を重ね合わせてみる